今年のNHKの大河ドラマ「八重の桜」は、新島八重が取り上げられております。新島八重の夫、新島襄と花外楼は縁がございます。
岩倉具視使節団の一員としてアメリカ、欧州を訪れた木戸孝允はアメリカで、通訳として随行していた新島襄(当時、新島はアメリカでキリスト教の伝道者になるため神学校に通っていた。)に出会います。その折、木戸は新島の教育論に感銘を受け、お互いに熱く意見を分かち合ったようです。後に新島は木戸を訪ねて欧州にも出向きます。そして、帰国後は木戸が大阪会議のため大阪入りする情報を得て、木戸の常宿でもあった加賀伊(現 花外楼)を訪れます。もともと新島は大阪に学校を建てたいと望んでいたのです。木戸は学校建設に協力するため、当時加賀伊に集っていた重臣たちとの仲を取り持ち、また、大阪の実業家磯野小右衛門に公園建設の為の費用を新島の学校創設のために用いることを承諾させます。木戸は、新島の「国造りは人造り、人造りの土台は教育」との」考えに深く感慨を覚えたのです。明治8年1月、木戸と新島のもう一つの大阪会議です。